ムーン・ランタン

ムーンランタン202107

は夕暮れて、いつもより早めの夕食が終わる。
小さなロッジの木のテーブルにランタンを置く。
置いた途端、やさしい灯りが周囲を包む。

都会では味わえない角の丸い時間が、過ぎていく。
ランタンの灯りが、ゆったりと柔らかい時間をくれるのだ。
熱いコーヒーをおかわりして、本の続きを読もうか。
それとも、描きかけのスケッチを完成させてしまおうか。
どちらにしても、心地よくかけがえのない時間になるはずだ。

ランタンの灯りは、影の出来ない都会の部屋の明かりに慣れた目には、少し暗く感じる。
けれど、暗さが明るさを引き立て、影によって考える空間が作られることを再認識させてくれる。
ランタンの灯りを相棒にして、今日も山の夜を楽しむとしよう。


つは、このランタンは2週間ほど前、ここへ来る途中の山道で拾ったものだ。
ただ、炎を覆うガラス製のホヤの中には火を灯す芯が無かったので、ランタンとしては使いものにならないと思った。
でも、なにかそこに置き去りにも出来なくて、そのままこのロッジまで持ってきたのだ。

ロッジに着いた日の夕暮れ、このランタンに驚かされた。
何気なくリュックに入れておいたランタンをテーブルの上に置いた。

すると、どうだろう。

テーブルに置いた途端、ランタンは光り出したのだ。
それは炎というより「灯り(あかり)」という表現が適切な光だった。
そして、その灯りの形は、三日月に近かった。
まるで、お月さまがランタンの中に納まったような感じだった。
ほんのりと明るく、ロッジの中をやさしい月明かりが照らしているような雰囲気を演出してくれた。

それから毎日、本物の月のように灯りの形は変化していった。
三日月だった灯りは、その後徐々に膨らんでいき、満月へと近づいていった。
私は毎日、空に浮かぶ本物の月と見比べてみたが、まったく同じように変化していくのが分かった。
空が曇って月の見えない夜でもランタンの中の月明かりを見れば、月の形が分かるのだ。
どんな仕組みなのか見当もつかないが、世の中にこんなに神秘的で美しいランタンの灯りがほかにあるだろうか。

して、その美しい灯りが今夜、満月を迎えていた。
本当は読書やスケッチなんかより、ランタンの灯りを眺めて過ごしてもいいくらいだ。
だが、今日は様子がおかしかった。
真ん丸な形の灯りは、見ているうちに少しずつ暗くなっていった。
おかしい、こんなことは初めてだ。
燃料が切れるなんてことはないはずだ。
オイルを入れるタンクは拾った時からカラだったのだから。
でも、ホヤの中の満月のような丸い灯りは徐々に欠けていく。
まさか、本物の月にも異常事態が起きているのか。
私はあわててロッジの外に飛び出して夜空を見上げた。
夜空の月はランタンの灯りと全く同じ状態だった。

の時、私は思い出した。
今夜は月食だったのだ。
まさか、ランタンの灯りが満月になるのと月食が重なるなんて思ってもみないことだ。

しばらくの間、ロッジの中は暗闇となる。
私は、月がまた顔を出すまで、夜空で繰り広げられる天体ショーを楽しむことにした。

【了】

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