桜ハート【前編】

川沿いの桜並木

また今年も春の休日に桜を見に来た。
目黒川の川沿いに競うように咲き誇るソメイヨシノ。
私は女性だけれど、桜はそれほど好きな花ではなかった。
咲き方が、あまりに強い印象を受けるから。
「咲き乱れる」といった感じが、私は苦手だった。
「苦手だった」と過去形にするのは、いまは好きだから。
好きと言うより引き寄せられるといった表現の方が正しいかもしれない。
桜の時期になると、居てもたってもいられなくなる。
そして、桜を見るとなぜだか胸が締め付けられるような感覚をおぼえる。
そんな感覚に襲われるようになったのは、3年ほど前からだ。
なぜ、突然、桜の花に感傷的になるのか。
そもそも、23年生きてきて、桜にまつわるそんな切ない思い出は記憶にない。
ましてや、3年前に桜の下で大失恋をした覚えもない。
ただひとつ、思い当たることがあるとすれば、
心臓移植だ。
3年前の冬、私は心臓の移植手術を受けた。
子供のころから心臓が弱かった私は、16歳の時に特発性心筋症と診断された。
私の場合、心臓が大きくなっていき、収縮する力がなくなってしまう拡張型心筋症だったけれど、良い薬のお陰もあって死に至るほどのことにはならなかった。
ただ、その薬も最初は効いていたが、年を経るごとに効き目が無くなってきて、20歳を迎える頃には、心不全が強くなって心臓移植しか助かる道はないと医者に言われた。

日本臓器移植ネットワークに移植希望者として登録して半年が過ぎたころ、幸運なことに私に適合するドナーが現れた。
移植手術は成功し、私は初めて「普通の人」になれた。
心臓の発作に怯えながら、走ることもままならない人生に別れを告げた。
ドナーの人に感謝の気持ちはあったけれど、身元は明かされないため、ご家族にお礼を述べることも出来なかった。
そして、移植後の初めての春。
近所に咲く桜を見ていたら、どうしても目黒川の桜が見たくなった。
恋こがれている人がそこで待っているかのような感覚。
本当に引き寄せられるように、私は桜を見に行った。
そして、目黒川沿いの桜並木を歩いた時には、気がつかないうちに涙が頬をつたっていた。
記憶は無いのに、切ない恋愛の感情だけが蘇って来たような感覚だ。
それ以来、毎年春はこうして目黒川沿いの桜並木を訪れる。
心臓にその人の心が宿っているなんて、非科学的なことは信じたくない。
脳を移植したわけではないのだから、前の心臓の持ち主の記憶や感情を私が引き継いでいる訳がない。
でも、私の心臓が他の人のものに替わったことが、この不思議な感情を呼び起こしているのは間違いないと思う。
ただ、私は、それでいいと思う。
この感情に逆らわないでいようと思う。
この心臓の前の持ち主にどんな思い出があるかは分からないけれど、湧き上がる気持ちを大切にするのが、その人の恩に報いることだと思う。
それに、切ないけれど決してイヤな感情ではないから。
今日も目黒川の川沿いは、お花見をする人たちで賑わっている。
私も、もうしばらく桜を眺めながら、この感情を味わっていよう。

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