消失

空き地と老人201909

1
あなたは、いつもの道を歩いていて「あれ、ここは以前は何の建物が建っていただろう?」と思うことはないだろうか。
私はしょっちゅうある。
町内を歩いていると、時々、建物の並ぶ一角が空き地になっていることがある。
はて、ここには何の建物が建っていただろうか?しばし考えるが、思い出せない。
余程自分に関係がある建物でなければ、まず思い出すことは困難だ。

先日も、駅前の商店などが並ぶ通りの一角が空き地となっていた。
ほぼ毎日のように通っている道にもかかわらず、なんの建物だったかまったく思い出せない。
通りすがりの人に訊きたい衝動を抑えながら、記憶の糸をたぐってみる。
しかし、思い出せることはほとんどない。
まぁ真剣にとことん思い出そうともしないのだが。

2
なぜ、こんな話をしたかと言うと、もう1ヶ月ほど、私は家へ帰ってないのだ。
外出から帰ると、自宅が無くなっていたのだ。
さすがの私も自分の家があった場所が空き地になっていれば、すぐに分かる。
いったい何が起きたのか?
まさかご近所さんに「私の家はどうなりましたか?」と訊くわけにもいかない。
私はちょくちょく自宅のあった場所のあたりをうろつくようになった。
なにか手がかりがあるはずだ。

すると、ある日、自宅近くの路地で孫娘に似た姿を見かけたように感じた。
いや、間違いなく孫だ。
私はあとを追いかけたが、見失ってしまった。
その後も何回か孫の姿は見たが、いつも途中で姿が見えなくなってしまった。
もうすぐお盆になるというのに、どうしたことか。

3
おじいちゃんが死んでもう1ヶ月。
家族が一人減ってしまったので、うちの家族は少し狭い家へ引っ越しをした。
わたしは、もし、お盆におじいちゃんが降りてきて、家がわからなかったら困るだろうと思って、8月に入ってから何回も元の家があった場所に行ってみた。
もう家は壊されて空き地になっているので、きっとおじいちゃんは面食らってしまうだろう。
新盆なのに一人で迷子はかわいそうだ。

わたしは今日も行ってみる。
もし、まだ、わたしを見つけられないでいたら大変だ。
今日、おじいちゃんがわたしを見つけて、新しい家まで着いてきてくれることを祈りながら。

【了】
 

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