先日、アラスカに赴任していた友人から「おみやげ」をもらった。
生きているシロクマだ。
いやいや、動物園で見るような、あんな大きなシロクマじゃない。
手のひらにすっぽり収まってしまうほどの大きさだ。
まだ子供だが、大人になっても大きさはそれほど変わらないという。
そんなシロクマがいるのかって?
それが本当にいるのだ。
世界に10頭しかいない貴重なものだ。
友人からは、グラスに浮かべた氷の上に乗せておくと、そこだけが自分の世界だと信じ込み、逃げることはないと教えられた。
また、家を留守にするときは、グラスの氷の上に乗せたまま冷蔵庫に入れておけばいいのだそうだ。
独身で友達も少ない私の楽しみは、家でウイスキー片手にビデオでも観ながら過ごす夜の時間だ。
そんな私のくつろぎタイムが少し変わった。
仕事から帰ると、シロクマが家で待っているという生活が始まった。
ウイスキーの入ったグラスに氷を浮かべ、その氷の上にシロクマを乗せる。
そのままグラスを口に運ぶと、グラスの氷から鼻の上にシロクマが乗り移ってくる。
でも、すぐに怖くなってグラスの氷に戻ろうとする。
これがとてもかわいいのだ。
ただ、タバコを吸っている時だけは、立ち上る煙を嫌がって寄ってこない。
このあたりは、本物のシロクマらしいところだ。
私は小さなシロクマがすっかり気に入ってしまい、仕事や恋愛などの愚痴をシロクマに話しながらウイスキーを飲むのが日課になった。
ひとしきり私の話を聞き終えると、まるで話の内容を理解したかのように「グー」と鳴く。
グラスに浮かべた氷の上という小さな世界で生きているシロクマ。
最初はかわいそうなヤツだと思っていたが、自分も同じだと気がついた。
会社では目立たず、友人も少ない。
旅行なんか、修学旅行以来行ったこともない。
ほぼ毎日、会社と家との往復で、グラスに浮かべた氷の上とたいした変わりはない。
小さなシロクマを飼い始めてから半年たったある金曜日、その日もソファーに座りシロクマに話しかけながら、オン・ザ・ロックを飲んでいた。
ひとしきり愚痴を言い終えると、それに応えるようにシロクマは「グー」と鳴いた。
そのあと更に何杯かのウイスキーを飲み、たばこも数本吸っていると急に眠気が襲ってきた。
目を覚ますと、土曜日の朝6時過ぎだった。
仕事は休みだし、このままソファでもう一眠りしようと思って、はたと気が付いた。
シロクマを冷蔵庫にしまい忘れた。
当然、氷は溶けていて、シロクマは溺れてしまっているのではないか。
私はあわてて起き上がり、ソファの前のガラステーブルを見た。
そこに氷の溶けきったウイスキーグラスはあったが、シロクマの姿はない。
悪い予感がした。
ふと、ソファの足元を見ると、野球のボールくらいの大きさにカーペットが丸く焼け焦げていた。
その焦げ跡の上にシロクマが横たわっていた。
シロクマの身体の半分以上が黒く焦げていた。
私は何があったのか、すぐに理解出来た。
昨日の夜、私は火の着いたタバコを持ったまま酔っぱらって寝てしまった。
ソファで寝ていた私の手からタバコがカーペットの上に落ちたのだ。
それを見たシロクマは、私のために勇気を振り絞ってグラスから出た。
そして、自分の身を挺(てい)してカーペットの火を消してくれたのだ。
周囲には読みかけの新聞紙などが散乱していたので、火事になっていただろう。
私は焦げたシロクマを両手でそっと包むように拾い上げ、息を吹きかけてみた。
何回かやってみたが、もう動くことはなかった。
テーブルの上からカーペットまでの道のりは、小さな体のシロクマにとっては大変な距離だったに違いない。
しかも燃えかかったカーペットに飛び込んでいく勇気。
いままで自分は、自分の身を犠牲にしてまで誰かを助けたいと思ったことがあるだろうか。
勇気を出して自分の限界を超えようとしたことがあっただろうか。
こんな小さなシロクマに命を救われた自分が情けなく、そして、シロクマが愛(いと)おしかった。
私は、ある決意をした。
シロクマを生まれ故郷のアラスカに運んで弔(とむら)ってやろう。
小さな世界しか知らずに死んでいったシロクマをアラスカの大地に帰してやろう。
今日すぐにでも私は旅立つ。
シロクマと一緒にアラスカの地を踏んだとき、私もなにか変われるかもしれない。
旅の準備をしているとき、私の中で「いままで眠っていた私」が目を醒ましたような気がした。
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