誰でも他人には見せない本当の自分を持っている。
場合によっては、自分自身も気づいていない自分があったりする。
ただ、それが分かっていても、どうしても見かけや自分の価値観で人を判断してしまうのは、私だけではないだろう。
なので、世の中の多くの人が、第一印象やうわべの雰囲気だけで判断され、本当の自分とは違った人に思われている。
弱々しく頼りなく見える男が、じつは内面は男らしかったり、プロレスラーのような大男が気弱で女々しかったり。
虫も殺さないような感じの可憐な乙女が、男を手玉にとるような性悪だったり。
生意気でお高くとまっているように見える女性が、じつは、親孝行で時にボランティア活動に熱心だったり。
かく言う私も、本当の私のことは誰も知らないと思う。
私は大手ゼネンコンの営業部長として、大きなプロジェクトを任され、部下をとりまとめながらビジネスの現場で活躍している。
独身なので、仕事の出来る中年男性として、社内の女子社員から熱い視線を集めていると自負している。
みな、私のことを決断力があって、何があってもくじけない強い男だと思っている。
でも、本当の自分は、全然違う。
まず、強くなんかない。
女々しくて意気地が無くて、卑怯なところもある。
会社ではそれをひた隠しにしているだけだ。
家に帰ってくると、大声を出して泣いたり、布団をかぶって金切り声を上げたりする。
会社では無理に太く低い声をつくってしゃべっているので、無性に甲高い声を出したくなる。
はたから見ると、ただのヒステリーだ。
そして、なによりみんなが知らない本当の私。
自分でも時々忘れてしまう本当の私・・・。
それは、私が女性だということ。
いや、女性として作られているということ。
本当によく出来ているロボットだということ。
私を作ったのは誰なのか。
私は知らない。
何のために作ったのか。
それも分からない。
私は入社以来、ずっと自分の全てを隠しながら生きてきた。
いや、ロボットなのに「生きる」という表現はおかしいだろうか。
でも、とにかく生きて、自分が何のために作られたのか知りたかった。
しかし、ここまで生きてきたが、いまのところまだ分かっていない。
ただ、ひとつ救いなのは、人間も私とまったく同じだということだ。
誰がなんのために人間をつくったのか、ちゃんとは知らないようだ。
それでも「幸せ」とか言うものを追い求めて、疑問ももたずに生きている。
ところで、ここ数日、私はとても悩んでいる。
とんでもない疑惑が頭にこびりついて離れない。
先日、会社の社長室に、国の科学技術政策を任されている内閣府特命担当大臣が訪れていた。
私はたまたま社長に用があって社長室に行き、それを立ち聞きしてしまったのだ。
いや、多分私の聞き間違いだ。
音声認識装置にガタがきたに違いない。
でも、たしかに社長と大臣は話していた。
うちの会社の社員は、4500人すべてが人の手によってつくられたロボットだということを・・・。
【了】
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。