3年ぶりに春の休日に桜を見に来た。
目黒川の川沿いに競うように咲き誇るソメイヨシノ。
美しいと思う。
ただ、僕の中では、美しさよりも切なさの方が勝(まさ)ってしまう。
僕の心の時計は、3年前で止まったままなのだ。
高校時代、僕は一人の女性と付き合った。
一学年下のテニス部の女の子だった。
細身で髪が長く、男なら誰が見ても好きになって当たり前な女性だった。
夢のような日々と言ったら言い過ぎかもしれない。
でも、確実に彼女のおかげで、僕の高校生活はバラ色だった。
僕が高校を卒業し、大学に進学してからも、高校生の彼女と付き合いは続いた。
しかし、高校を卒業した彼女は、地方の大学に進学を決め、僕のもとから去って行った。
ぽっかりと心に穴が開いてしまったが、医者になる夢のため、僕はひたすら勉強した。
それから3年後、僕は医大を卒業し大学病院に医者として勤務し始めた。
そんなある春の休日、ふらっと目黒川に桜を見に行った。
そこで、僕は彼女と再会した。
東京で就職が決まり、彼女は戻ってきたのだ。
彼女の美しさは変わっていなかった。
いや、年齢というクロスで磨かれて、さらに美しくなっていた。
恋愛ドラマのワンシーンのような再会を果たした僕らは、お互いの気持ちを確認した。
再会した翌月には新しくアパートを借りて、二人で住み始めた。
場所は、高校時代二人で桜を見に行った目黒川近くと最初から決めていた。
お互いに忙しかったが、休日は二人の時間を満喫した。
春には時間さえあれば、二人で目黒川沿いの桜並木を歩いた。
「結婚しようか」
そんな言葉が二人の口から同時にこぼれ出て、笑いあった。
そんな矢先の出来事だった。
幸せには期限があるのだろうか。
まるで、「今日で期限切れです」とでも言われたように、二人の幸せは終わった。
二人で結婚を誓った数日後、彼女は車にはねられて亡くなった。
車道に飛び出した子犬を守ろうと、自分も飛び出したところをはねられたそうだ。
子犬は飼い主のいない野良犬で、どうやら彼女は拾ってうちで育てようと思ったらしい。
彼女は、また僕のもとから去って行った。
しかも、今度は永遠に・・・。
彼女は生前、僕にも、彼女の両親にも臓器提供の意思表示をしていた。
「死んだときにも誰かのお役に立ちたい」
そんなことを願う女性だったのだ。
心臓など損傷のない臓器は、ドナーを待つ患者さんに移植されたそうだ。
僕の心境は複雑だった。
彼女の気持ちは理解しているものの、どうしても「持って行かれた」という気持ちになってしまった。
医者として情けないけれど、それが正直な気持ちだった。
それから3年。
目黒川沿いのアパートから引っ越し、桜を見に行くこともなかった。
僕にとって桜は、とくに目黒川沿いの桜は、辛い気持ちと直接結びついている。
もう二度と足を運んでまで見に行くことはないだろう、と思っていた。
それなのに、どうしてあの春の休日、僕はそこへ行ったのだろう。
行ってみると、やはり以前の記憶が蘇り、辛い気持ちになった。
思い出したくない喪失感が、心の中をいっぱいにした。
もう帰ろうと思い、人ごみの中を急いでいると、桜橋が目に入った。
そして、橋の上にたたずむ一人の女性に目を奪われた。
彼女だ。
いや、違う。
雰囲気は似ているけれど、彼女ではない。
当たり前だ。
彼女はもうこの世の人ではないのだ。
でも、僕はその女性から目を離せなくなった。
気がつくと、彼女のそばまで行き、彼女を見つめながら立ちすくんでいた。
彼女はうるんだ瞳で悲しそうに橋の上から桜を眺めている。
亡くなった彼女に姉妹がいたら、こんな感じだろうかと思わせるような雰囲気だ。
気がつくと、僕は彼女に声をかけていた。
無我夢中でお茶に誘うと、少しためらったが、彼女は悲しい表情のまま応じてくれた。
そして、
それから3ヶ月後、僕はその女性と結婚した。
3年前、亡くなった彼女が事故にあった日に心臓移植を受けた女性と。
【了】
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