空飛ぶクジラの物語(第5話)

空飛ぶクジラと雲海

私は宇宙飛行士だ。
これまでに月へ3回行っている。

そして、今回が宇宙飛行士としての最後のミッションだった。
その最後のミッションで、私は月でおかしなものを目撃した。

クジラだ。

クジラが月面の上空を遊泳していたのだ。

じつは、空を飛ぶクジラを目撃したのは、2回目だ。
最初に見たのは、私がまだ子供のころだった。

父親の赴任先で引きこもりがちだった私は、ある満月の夜、
クジラが空を飛び月へ向かって真っすぐに上っていくのを見てしまった。

その勇壮で神々しい姿を見たとき、私は神の声でも聴いたかのようにその場で動けなくなった。

そして、私の頭の中には宇宙飛行士になった自分のイメージが鮮明に映し出された。

次の日から私は突き動かされるように学校へ通い始めた。

クジラが私を導いてくれたのだ。

充実した人生へと。

 

いま、わたしは最後のミッションを終え、月から地球へ帰って来たところだ。

帰って来たと言っても、まだ宇宙船の帰還カプセルは、大気圏突入の熱から解放されたばかりだ。

7日ぶりに見る地球の空は、ことさら青く見える。
そして、雲は信じられないくらいの白さだ。

そんな感慨に浸っていると、私はまぼろしを見た。
いや、まぼろしではない。

クジラだ。

今度は、雲海を楽しそうに遊泳している。

 

月で空を飛ぶクジラに再会した時は、本当に驚いた。
しかし、次第に子供のころの記憶がよみがえってきて、なつかしさでいっぱいになった。

感謝の気持ちが湧いてきた私は、月で遊泳するクジラに手を振ってみた。
目の錯覚だとは思うが、向こうも前ヒレを動かしているように見えた。

 

私を乗せた帰還カプセルは、どんどん着水地点に向けて降下している。
視界から離れてゆくクジラに、私はなにか囁きたくなった。

口をついて出た言葉は、やはり感謝の言葉だった。

女性の私が宇宙飛行士になれたのは、あなたのお陰よ。ありがとう。

 

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